スリランカ・スタディ・ツアー

2015

スリランカ・スタディ・ツアー2015

● 1年ぶりのスリランカ!10日間の滞在で学んだこと

8月13日(木)に、今回のスタディーツアー参加者、絆JAPANの笠原正好代表、長野県塩尻市からの看護婦、小林さん、そして東日本大震災被災を受けた高校生参加者5人らとともに成田空港を飛び立ちました。

 

スリランカのコロンボに到着した翌日、J・R・ジャヤワルダナセンターを訪問しました。ジャヤワルダナセイロン国大蔵大臣は、第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約で4か国による日本の分割統治が決まりかけたとき、「憎しみは憎しみに消え去るのではなく、ただ愛によって消え去るものである」と演説を行い、日本分割統治を回避させた立役者となりました。日本からの観光客も年々増えているものの、もっとこの事実を知るべきです。夜のミーティングでは、高校生たちに「私たちのために時間を割いてお話をしてくれる人に対して、目を見て話を聞くように」と忠告しました。


3日目には古都キャンディにある、仏陀の歯が祀られているという仏歯寺で、1日3回ある礼拝のうちの1回を参拝者で大混雑している中、見物しました。境内で座り込んだ熱心な信徒などが居て、人々の信心深さは日本ではあまり見られません。紅茶畑では500ルピー程度(約500円)の日給で忙しく茶を摘む人、道端では野菜を歩き売りする若者や子供が一生懸命に働いています。その日のナイトミーティングでは、「固定観念から脱し、ブレイクスルーするには何が必要なのか」について話し合い、経験も大事だが、やる気が重要と笠原代表が生徒たちに伝えました。

 

4日目にはナヌオヤ駅から鉄道に乗車後、バドゥーラから狭い山道を上り、昨年も訪れたパーラワッタ村に行きました。村に到着すると、村人総出で大歓迎してくれました。踊りや太鼓、おやつでおもてなしを受け、点火式や円陣を組んだ儀式に参加。お坊さんの読経に耳を傾けました。

5日目には私が歯科検診を行いました。むし歯がある子の未処置歯が目立つも、歯磨き習得に熱心なお母さんや、落着きのある子供たちが印象的でした。その後各受け入れ先に移り、ホームステイ開始となり、私はアサンカ宅にお邪魔することになりました。

 

6日目には村の若者とゲームやスポーツをして交流を深めたあと、20年後の自分が何をしているかについてみんなに紙に書いてもらうワークショップを行いました。みんな黙々と作業し、びっしりと将来の自分について書き込んでおり、最後に絆JAPANの笠原代表から、人には「頭の中で思い描いたことを実現させる能力」があるということをみんなに話してもらいました。夜のキャンプファイヤーでは、日本からの男子高校生が誤って火と接触し、やけどをするハプニングがありましたが、日本からの看護師の小林さんや現地の方々のサポートがあり、途中帰国を免れたのです。

 

7日目には村のみんなとお別れ会を行い、名残惜しい中出発。カタラガマヒンドゥー寺院へ参拝し、お供え物の果物の甘い匂いが立ち込める中、多くの人が並んでいました。夕食の間、案内役のプラシャンが日本でアルバイトをしながら日本語の勉強をしていたときのことを語ってくれ、それと比べて現代の子は親に依存し、自己中心的な考えをしていて悲しいという思いを吐露していました。


8日目には新しい高速道路を通って南下、ゴールにある日本山妙法寺を訪問しました。そこで昨年も生徒たちにお話し下さった浅見住職に本堂に案内いただき、読経のあと今年もお話を聞かせて頂きました。浅見住職は小学校教師を辞め、日本からスリランカに移住し、内戦に際し、平和大行進を指揮しました。「和を以て尊しとするアジアに戻らなければならない。」と住職は訴えます。兵器や軍隊にお金や労力を使うなら、貧困解決のためにこそ使わなければなりません。

 

その後、約600年前にオランダが造った世界遺産「ゴール城壁」を散策しました。この構造物は保存状態も良く、中世ヨーロッパ風の要塞都市の姿を今に伝えます。2004年のスマトラ沖地震による津波発生の際には、その外壁のために内部は大きな被害を免れました。

9日目には、ヒッカドゥワ郊外にある、スマトラ沖地震後に本願寺がスリランカ政府と共同で建てた津波本願寺仏舎に行き、その後津波犠牲者慰霊碑にて黙祷しました。ここに埋葬された遺体のほとんどが、この近くで止まっていた電車に乗っていて流されてしまった約1650人の乗客の方々なのです。


10日目にはSAWAN SAHANA聾唖学校を訪問しました。まずは、日本から持ち込んだTシャツやルービックキューブ遊具を寄贈しました。サルボダヤスワセタ孤児院には10代で出産した母親たちの子どもが多く、また近親者との子どもが多いのが現状だそうです。孤児院の隣には南アジア最大のボランティア団体本部があり、被災時には世界中から溢れんばかりの救援物資がここに集荷されたそうです。

 

 分刻みのスケジュールの中、コロンボ国際空港には9時に到着し、飛行機は日本を目指して20分遅れではあるが、11時50分に無事飛び立ちました。

第2回スリランカスタディーツアーに参加でき、お声をかけていただいた絆JAPAN笠原代表、コーディネーターのプラシャンに感謝いたします。
いくつかのトラブルがあったものの、皆さんの尽力でツアーを最後まで完遂できました。
生徒たちの一段と成長した姿を身近で確認し、着実に大人になっていく経過の一面を見れたような気がします。
自分の時間を大切にしているスリランカの村人たちの笑顔が印象的で、必要以上の裕福さは自分を見つめる時間を失わせるのではないかと考えさせられます。
貴重な体験や歯科検診などユニークな企画もあり、大変有意義でした。来年も行う予定とのことで、是非再参加したいと考えております。

2014

スリランカ・スタディ・ツアー2014

● 8日間の貴重な体験を通して学んだこと

2014年8月17日(日)から絆ジャパンの笠原代表の計らいにより、大好き日本お助け歯隊の活動の一つとしてスリランカ・スタディ・ツアーに行ってきました。主な目的は、子供たちの中から復興支援を引っ張って行く未来のリーダーを育てることですが、今回のツアーには三つの重要なポイントがありました。一つには2004年のスマトラ島沖地震による津波で亡くなった方たちの遺族との慰霊祭と情報交換会、二つ目は絆ジャパンが集会場を寄贈したパーラワッタ村との交流、そして最後に、少しでもスリランカの歴史・文化・国民について知ることでした。

 

今回のツアーの主役の子供たちにとっては、スマトラ島沖地震後の突然の津波の襲来と震災以来行われている避難訓練の話、数年前までの内紛の話など、未知との出会いの連続だっただろうと思います。しかし、私の目にはこのツアーでの進行や取りまとめ、意見交換を通して確実に成長している彼らの姿を感じました。

 

そして今後、今回の旅を通して彼らは日本とスリランカの交流の架け橋となり、更に将来の両国の防災ノウハウを高めることに貢献してくれるだろうという希望を持っております。サポートしていただいた方々、留守の医院を切り盛りしてくれたみんなに心から感謝しています。

 

皆さんは、スリランカが日本の大恩人なのをご存知でしょうか?第二次世界大戦後にスリランカは一早く日本と外交関係を結んでくれました。しかし、特筆すべきことは、1951年9月6日のサンフランシスコ講和会議でのことです。

 

この会議に出席していた当時のスリランカ大蔵大臣(後の初代大統領)ジャヤワルダナ氏は、各国が日本に賠償金の要求をし、領土の分割統治を推し進める中、「戦争は、もう過去のものです。やられたらやり返す。憎しみを憎しみで返すだけではいつまでも戦争は終わりません。戦争は憎しみで返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になります。 もう憎しみは忘れて慈愛で返していきましょう。素晴らしい日本に復興させることが私達のやるべきことです。」と発言し、賠償金の請求を放棄し、日本を助けてくれました。

 

また、ジャヤワルダナ氏は、1996年に他界しますが、生前2つの目の片方の角膜をスリランカの人に、そしてもう片方は日本の方に提供してほしいといい残していました。これらのことから今の日本があるのは、スリランカがあるからといっても過言では無いと思います。

 

ですが、日本人の何割がこのことを知ってるのでしょうか? 恥ずかしながら、私は笠原代表から教えていただくまで知りませんでした。そして、その恩を少しでも返せるように、私は今やるべきことの一つはスリランカの支援だと思うようになったのです。

 

Dr.マッキーの8日間のスタディ・ツアーの模様は、ブログからも詳細にご覧になることが出来ます。是非一度ご確認くださいませ!

● さらに成長を見せたツアー事後研修

スリランカ・スタディ・ツアーで現地でガイドをしてくれたプラシャンさんが来日し、当院マリン歯科で歓迎した翌日、2014年9月13日(土)、石巻にスリランカ・ツアーの面々が再集結しました。今回のツアーの反省会として、評価すべき点と改善点を出し合いました。

 

評価すべき点としては「相手を受け入れることを学んだ」、「異なる幸福感を抱き、何をもって幸せと言えるのか考えさせられた」、「日本を客観的に見ることができた」などが挙がりました。

 

改善点としては「予定が多かったため、移動時間が多くなってしまった」、「事前学習をもう少ししておくべきだった」、「津波被害と防災という主旨とは違う部分もあった」などが述べられました。

2日目は、2014年12月13日(土)に行われるJICA(国際協力機構)への報告会の発表内容を具体化すべく、打ち合わせを行いました。スリランカの人、宗教、食事、習慣、社会問題について話し合いました。日本と同じ仏教国といえども参拝の仕方に違いがあること、食事は手で食べること、子供が虐待を受けると親から隔離されること等々、幅広い見聞の成果が出ていました。

 

子どもたちからは鋭い意見が出されたり、自主的にミーティングを行ったりするなどの積極的な姿勢が垣間見られました。グループワークの多いツアー事後研修ではありましたが、東北を復興させるようなリーダーは彼らの中からきっと現れてくれると思わせられた研修でもありました。

充実していたスリランカ・スタディ・ツアーの内容を振り返ることにより、他の参加メンバーが何を感じ、何を考えたのかが明確になったことは、私にとって大きな収穫になりました。新たな発見、想いの共有、おもしろい考えに触れられたことは、普段の立場を忘れて素直な気持ちで、楽しめました!事後研修についてもその模様は、ブログからも詳細にご覧になることが出来ます。

● JICAでスリランカスタディツアー報告会

8月に行ったスリランカスタディツアー『絆「架け橋プロジェクト」』報告会が2014年12月13日土曜日にありました。絆ジャパンメンバー、ツアーに参加した生徒たちとその家族の方々など40名近くが集まりました。東京の市ヶ谷にあるJICA本部に着くと、会議室では未開発の国々のボランティア活動の紹介や発表会などをしていました。

 

4時から、秋山斎さんの司会進行でまず笠原正好、絆ジャパン代表からあいさつがあり、その後マリン歯科スタッフ制作のツアーをまとめたDVDを30分余り流しました。かなり時間をかけて作られた力作で、ツアーに行かなかった方も概要はつかめただろうと思います。その後参加した生徒たちの発表に移り、3人が大人とはまた違う視点での感想を述べていましたが、やはりパーラワッタ村の歓迎が印象深いようでした。

 

そして、私からツアーの感想を発表する番になり、「予想以上の旅で、昨年の事前体験ツアーの出発3日前にお袋が亡くなるというドラマから始まり、感性豊かな生徒たちとの旅は逆に多くのことを学ばせてもらったくらいでした。沢山の方の援助の上での体験に感謝したいです」と話しました。

 

後半は、津波の到達地点について後世に警鐘を鳴らし、それが目につき、希望を持てるように、等間隔に桜を植樹していく『陸前高田あの街に桜が咲けば』というタイトルのドキュメンタリーが上映されました。そこでは、桜を植えたい土地の所有者との交渉や資金面の大変な現状が映っていました。

 

報告会は7時半に終了し、後片づけをして帰りました。こうして、スピーチさせていただく場を与えられ、嬉しく思い、生徒たちにとっても有意義だったのではと思います。

 

報告会の様子について、ブログからも詳細にご覧になることが出来ます。是非一度ご覧ください!